悲劇
私はその日、両親と妹を一瞬で失った。それは悲劇的な事件の中で起こった出来事で、私の人生は一夜にして崩れ去った。私が受けた痛みや喪失感は言葉では表せないほど深く、心の底から湧き上がる絶望に押し潰されそうになった。しかし、私はただ立ち尽くすことはできなかった。何かをする必要があった。そして、私は内なる声に導かれるように、立ち上がる覚悟を決めた。
人生最悪の日
事件が起きたその日、私はニュースで家族の死を知った。現実を受け入れることができず、涙が止まらないような絶望感に襲われた。その痛みは身体中に広がり、何もかもが崩れ去っていくような感覚だった。私は床を殴りながら現実から逃げ出したいと思ったが、拳に痛みしか残らなかった。
警察からの連絡を待つ間、私は近くの神社に向かった。神様に何か答えがあるのではないかと願ったのだ。神社の本殿の前で一人立ち、私は神様に問いかけた。「なぜこんなことが起きなければならないのか。なぜ私の家族が犠牲にならなければならないのか」と。
すると、心の奥深くから、どこかから、答えが聞こえたような気がした。「受け入れなさい。全てをあるがまま受け入れなさい」と。初めは信じられなかったが、その言葉が私の心に響き、穏やかさを取り戻すことができた。私は困難な現実を受け入れる覚悟を決めたのだ。
乗り越える力を見つけて
受け入れるという覚悟を持った私は、次にどのようにして立ち上がるかを考え始めた。私は自分が乗り越えられる力を身に付けなければならなかった。そこで私は次の3つのポイントに焦点を当てることにした。
1.真実を受け入れること:まずは現実を直視し、事実を受け入れる勇気を持つことが重要だった。家族の喪失は理不尽で悔しいものだが、それが現実であることは変えようがない。私は過去の出来事を否定するのではなく、受け入れることで前に進む決意をした。
2.内なる声に耳を傾けること:神社での体験が私に教えてくれたことは、自分の内なる声や直感に耳を傾ける重要性だった。人々がどれほど困難な状況に立たされていても、内なる声は私たちに方向を示してくれる。私はそれに気づき、内なる声を信じることで進むべき道を見つけ出そうとした。
3.目標を持つこと:乗り越える力を養うためには、明確な目標を持つことが必要だった。私は自分がどのような未来を望むのかを考え、それに向かって行動するための目標を設定した。目標は私の内なる力の源であり、逆境に立ち向かう勇気を与えてくれる存在だった。
困難さえも乗り越えられる力を身に付ける
私はこの困難な時期を通じて、自分自身を成長させることができた。立ち上がる勇気を持ち、前向きに進むための力を見つけたのだ。その過程で私が身に付けた力は次のようなものだった。
1.自己信頼力:困難に立ち向かうためには自分自身を信じることが重要だ。私は過去の成功や克服した困難を振り返り、自己信頼力を高めることに努めた。自分に自信を持つことで、困難さえも乗り越えられるという確信が芽生えたのです。
過去からの逃避
事件直後、私は人々の視線が怖くなった。テレビの報道番組や冷酷な取材によって心を傷つけられ、他人の言葉が私を苦しめた。笑うこともできなくなり、他人の顔を見ることが恐怖につながった。電車に乗る際も後ろに立つ人に不安を感じ、夜には電気をつけたままで眠るようになった。人々を信じることができなくなり、なぜこんな風に変わってしまったのかと自問自答する日々が続いた。現実から逃げ出したくてたまらなかった。朝起きても、それは夢ではなかった。次の日も、その次の日も、悲劇は現実だった。
テレビのニュース番組を見ることさえできなくなった。事件の記憶が蘇り、同じような出来事を思い出してしまうからだ。殺人事件のドラマでさえも避けたくなり、思い出させるもの全てを遠ざけたかった。過去の出来事を記憶から抹消したいとさえ思った。
その頃の私は、仕事に没頭し、毎朝神社に参拝することによって時間を過ごしていた。自分自身と向き合う余裕などなかった。何か考えを巡らせると、暗い考えが頭をもたげてしまうからだ。私は自分の心をクリアにするために、自己を忘れるようにしたのだ。その時間を持てば、自分の不安な未来や憎しみが湧き上がってくる。だから、日曜日は神社に行って、宮司さんの話を聞くようになった。彼の話を聞くと、心の塊が薄れ、清々しい空気が私の中を浄化してくれるように感じた。
そして、今まで経験のなかったことだが、町内のごみ拾いや掃除活動に参加するようになった。自分の中に渦巻く何かを浄化したいという欲求に駆られていたのかもしれない。私は自分の心を清めることで、少しずつ力を取り戻していったのだ。
安心と安全を求めて
神社への参拝が続くごとに、私の心は軽くなっていくことを実感していた。そこで私は気づいたのだ。私が求めていたのは、安心と安全な場所だったのだと。人間は本能的に安心と安全を求める存在であり、自分に害を及ぼすものや、信用できないものを避ける傾向がある。私も同じだった。あの事件によって、私の心は傷つき、不安に満ちていた。だから私は神社を訪れ、宮司さんの話を聞くことで内なる平穏を取り戻そうとしたのだ。
新たな光明の発見
神社で聞いた宮司さんの話は、人としての生き方や心の持ち方についての教えだった。私の不安な未来に対する問いに対し、神社は答えを与えてくれた。毎日の参拝によって私は徐々に安心と平穏を取り戻していった。
そうして神社とのつながりが深まるにつれ、私は安心と安全を求めるだけでなく、自分自身の内なる力を再発見した。神社での時間は私の心を浄化し、私自身が前進する勇気を与えてくれた。私の中に新たな光明が生まれたのだ。
新たなる未来への一歩
この経験を通じて、私は自分自身に再び信頼を取り戻し、前向きな人生を歩むことができるようになった。安心と安全を求める心は私の内なる力を呼び覚まし、困難さえも乗り越えることができる力を身に付けたのだ。事件の影響から解放され、私は新たな未来への一歩を踏み出す準備ができていた。
現実からの脱出
事件直後、神社を訪れた私は、自分自身を外部から見ているかのような感覚に陥りました。まるで自分がロールプレイングゲームのキャラクターを操作しているような錯覚に取り憑かれたのです。なぜそんな感覚が湧いてきたのかは理解できませんでしたが、それが私にとって良い結果をもたらしたと感じています。自分を客観視することで、不安や恐怖が少し薄れたのです。
幸せへの決意
私は自分の状況や事件を客観的に見ることで、最悪の精神状態から脱することができました。しかし、すぐに前向きな気持ちになることはできませんでした。ネガティブな考えや復讐心が私の頭を占め、暗い日々が続いたのです。将来の見通しが立たず、心が締め付けられるような感覚に苛まれました。
母のメッセージ
そんな中、四十九日法要が終わった頃、私は母に会いたいと思いました。彼女にどんな言葉をかけてくれるのか、その思いが心を揺さぶりました。そして雨の降る夕方、私は車の中でぼんやりと考えていました。すると、突然、車内で母の声が聞こえたような気がしたのです。彼女はこう言ったのです。 「あなたは幸せになりなさい。お父さんとお母さん、そしてみつばの分まで、3人分の幸せを楽しんでください」。 そのメッセージが私に届いたような感覚がしました。私は車の中で泣きながら、母の思いを受け取ったのです。そして私も母に対してこう誓いました。 「絶対に幸せになります。お父さんとお母さん、そしてみつばの分まで、充実した人生を送ります」。 その決意が、私の中で芽生えたのです。
幸せへの道のり
決意をしたからと言って、すぐに幸せになることはできませんでした。しかし、幸せになると心に決めることはできました。自分がどんな未来を創りたいのか、他人が決めることではなく、自分が決めることができるのです。幸せになるためにはどのような考えや行動をすればいいのか、当時の私には分からなかったかもしれません。しかし、自分が幸せになると心に決めたことで、新たなる未来への一歩を踏み出せるようになったのです。
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