社会のルールの中に生きるとどういうことになるのか?

いとう
いとう
こんにちは伊藤です。今日は社会のルールというものについて考えてみたいと思います。今日話す内容は人によって考えが異なります。

 

はじめに1つ例え話をしますね。
昔、どこか外国の寺院の偉い人(グル)がいつもお弟子さん達に説法を説いていたんだって。その時に猫がそのグルにまとわりついて離れなかったんだってさ。グルは猫が気になってしょうがなくて説法ができないから、猫を捕まえて遠くに置いたとさ。

でも猫はまたそのグルに寄ってきてにゃーにゃーうるさかったんだって。それでしょうがないから猫を木のところに縛りつけたんだって。それで説法をしたらしい。そしてまた次の日、説法をするときに例の猫がまた寄ってきてにゃーにゃーうるさかったので、しょうがないから猫を縛ったとさ。

猫も懲りずにグルに寄ってくるよね♪( ´▽`)

でまた同じようにグルがお弟子さんに言って猫を縛りつけたんだってさ。

それは何度も繰り返されたんだとさ。

後から入ってきたお弟子さんたちはそういうものかと思い込んでいた。

しばらくして寺院のグルが亡くなった。

そしてそのグルの後を継ぐ人が今度は説法をするようになったんだって。でもそのグルには猫が寄ってこなかったんだって。その時にそのグルが何をしたかというと、あるお弟子さんに猫をどこからか捕まえてきて、木に縛って説法を始めたんだって。

まぁこの話は作り話でしょうけど。

この話から学べる事は、そもそも猫はどうでもいい存在で、木に縛らなくてもいいですよね。たまたまグルが話すときに猫が邪魔になったのでしょうがないからやったことです。でもそれが当たり前(ルール)だと思い込んでいたお弟子さんたちはその真似をしているのです。わざわざ猫を捕まえてきてです。

 

ばかばかしい話だけど、僕たちもばかばかしい価値観に囚われているかも知れませんよ。

 

その考えや行動は本当に必要か?

 

「それって本当に必要?」

「それって何のためにやっているの?」

そんなことっていっぱいありますよね。

例えば、真夜中に誰も人や車が通っていない小さな交差点で信号が赤になっています。真面目な人たちはその信号を守って止まっています。真夜中です。車も1台も通っていません。でも赤だから止まるのが当たり前でしょっていう考えです。

この考えも本当に素晴らしいことだと思います。でももう一度言いますね。真夜中です。車も1台も通っていません。

そもそも信号というのは車とか自転車とか歩行者が事故に合わないように交通整理のために作られたものです。自分の頭で考えてそんな状況に置かれたときにどう判断するのかっていうことを考える(柔軟性)ことも時には大事だと思うんですけどねー。

もちろん僕だって信号は時と場合によって守ったり、守らなかったりします。今の例に挙げた夜の場合は全然普通に渡ちゃいます。

 

でも昼間、どんなに小さな交差点でも車も通らない、人も通らない、でもそこに小学生がいたらやっぱり信号は僕だって守ります。時と場合によって自分の思考の柔軟性を持つ事って、僕は大事だと思いますけどね。

 

逆に、ルールに縛られてがんじがらめの人が自分の上司だったらどうでしょうかね?

あれはいけない、これもいけない、こうじゃなきゃダメ・・・

融通が効かない頭の固い親父です。

 

まぁこれは、様々な価値観がありますので、どちらでもいいことなんですけどもね。

もし自分が、何かを始めたいとか、起業したいとか考えているのであれば、時にそのルールが邪魔になることがあるんですよね。

 

自分の中のルール、社会の中のルール.地域のルール、そのようなルールの中に縛られていると自分の目指すゴールはもしかしたら見えてこないのかもしれませんよ。

誰かが作ったルールの中で、あなたは縛られながら生きてたら、あなたの目指す理想の世界にはたどり着けないかもしれません。

いとう
いとう
あなたがルールと思っていた壁の向こう側には素晴らしい何かが待っているかもしれません。

もちろん法律を犯す事はいけませんけどね。

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ABOUTこの記事をかいた人

伊藤勇

株式会社 みつば 代表取締役 ・心を整える専門家 / 整心師 ・魔法の故人会話術専門家 ・米国認定NLPトレーナー 2002年、カイロプラクティック院を開院。その後、心理学、自己啓発、コーチング、スピリチュアルと様々な学びを取り入れる。患者様の心と体を「マイナスの状態」から「プラスの可能性」へと、導くことを使命としている。